FP > 日々の活動記録(雑感)
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・市川さんの話を聞いて、トライしてみる第2段です。 8年前、市川さんの仲介で購入した シノケンのアパート を売却する試みです。 実は2年前にも売却を考えていたのですが、売却見積り算定額と残債額の関係で諦めていました。 不動産の投資というのは、額が大きだけに、機敏に逃げられないので、本当に経済的体力のある人以外、手を出すべきではありませんね。 それで、諦めていたのですが、市川さんに同じ福岡のアパートはどんな状況か尋ねたところ、昨秋、そこそこの金額で売却したことを教えてもらいました。ほぼ同条件のアパートだったので、私のアパートもその額で売れる可能性が有るということになります。 早々、業者さんを紹介いただき、見積をお願いしました。 そして、今日、その見積が届きました。 希望額より4百万円ほど安い金額です。 しかし、市川さんのアパートの実績もあるので、希望額で売れないこともないと判断して、この業者さんにお願いすることにしました。
・奇しくも、アントレフェアで金融公庫の融資セミナーを聞いた日の夕方書面が届いた。 融資セミナーでもたやすく借りられるようなはなしをしていたが、もう一つだいじなヒントも話していたので、ここに記す。 起業しようと思ったら出来るだけ早く相談行く事 一緒に事業計画を立てて貰うくらいが丁度良いらしい。 私の場合、あまりに気楽に考えていたので、事前に公庫に何も相談しなかったので、ビジネスモデルも理解できないような担当者に当たってしまったが、じzンに相談に行って、事業計画を相談しつつ作っていたら、何とかなったかも知れない。 ・後日談として詳しい人から聞いた話によると、昨年までの安易な融資がたたって、焦げ付き融資が急増したので、一転厳しい審査をするようになったそうでです。 だから昨年度の収益で返済が可能かと云う、融資を必要としない人にしか貸さないような話になっている訳です。^^;
・既に入居から2年を過ぎ、昨年末に契約更新したマンションですが、後進契約時に何点か設備の不具合を伝えていました。 取り敢えずは使えるので、あまり期待はしていなかったのですが、本日台所のガステーブルが交換となりました。流石に築20数年のマンションの新築当時の設備と最近の設備では、格段の差があります。 言ってみるものですね ^^♪
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2012.1.16(月) 日本政策金融公庫融資申込
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・市川さんが昨年融資を受けた際に、殆んど審査もなく簡単に融資を利用できた旨を聞いて、年末から申し込み準備をしてきたのだが、本日申込面接を受けてきた。 どうも風向きが変わったようで、融資は難しいとの担当者に言われてしまった。 指摘された問題点は3つで、@自己資金がない(既に在庫にばけているのでキャッシュが銀行口座に殆ど無い)、A現在の月間利益では返済が不能。(副業で短時間しか動いていなので当り前、これから本業として独立して収益を上げていくために融資を必要としているし、事業計画も立てているのに先月の数字で判断するって何?)、B所有する収益物件(アパート一棟)のキャッシュフローがマイナスである。 とまあ、こんなところだが、それより先に、ビジネスモデルのなかで、「ヤフオクで中古カメラを売る」って処が、理解できていない様子のお爺さんには、私の話が与太話にしか聞こえていないようでしたね。 せどりビジネス(もっと云うとネットビジネス)が理解できていない世代には、ムリな相談だったみたいです。
・初輸入とは言っても、大したものではない。100円もしない携帯電話のストラップ1本です。 ちゃんと届くのかテストに購入したものです。 取り敢えず、今の設定で自宅に届くことが確認できた。 ヤフオクのようにいちいちやり取りしなくても、落札して支払いさえすれば、自宅まで届くのだからスゴイです! それでは次回から安心してeBay仕入れができるってもんです。
・ようやく前のカメラの分割金が終わったので、新しい電話端末に変更できようになった。 感覚的に使えるはずなんだが、とっつきにくい。
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2011.11.30(水) カメラの月商が100万円超!
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・中古カメラ販売を本格スタートして9ヶ月目にして初めて月商100万円を突破しました。サイコーです。 取扱個数は35コ、平均単価28000円、利益は92000円で利益率9%だ。 絶対的な数字はまだまだだが、副業として寝る時間を削っての努力の成果であるだけに嬉しい♪
・セミナーで講師をされたM氏と個人面談の時間をいただき、疑問点をクリアにして、オフショアでの積立をスタートすることにした。マン島のF社(社名は一応保険会社)で500ドル/月の積立をすることになる。取り敢えず18ヶ月間は必ず続けないとイケナイ。予定利回り15%♪
・Mr.Tの紹介で海外資産形成オフショアセミナーに参加。投資クラブに参加して、マン島でオフショアの投資をして、将来の資産を形成していくというもの。今までのオフショア投資の話は、非課税で複利の投資が利回りよく出来ると云うものであり、大きく育てた資産を持ち帰る際に、多額の課税を免れないと云うものであった。しかし、今回の話は、(というかこの投資クラブの推奨手法では)、そのお金を効率良くいかす手立てがあり、出口戦略まで抜かり無い、素晴らしいスキームだった。
多くのオフショア難民の話を聞いたが、もし将来この投資クラブとの繋がりが切れてしまうと、何処の何にお金を預けて運用しているのかさえ、判らない状態になり、正に難民化することが心配だった。
・この3ヶ月間、寝る間を惜しんで取り組んだカメラ販売。結局1月目、8万円、2ヶ月目70万円、3ヶ月目50万円の売上に終わった。12名のメンバーの内、卒業式に出たのが9名。5名が月商百万円に届いたようだ。2名脱落。ここからが出発である。
・5月5日から体調を崩して発熱しダウンしていた。今日ようやく熱が下がりました。3月にTプランが始まり、更に大震災で、タクシーの客足がぱったりなくなったせいで、殆ど寝ないでカメラを仕入て売りさばき、4月は70万円の売上を立てたが、不眠不休のツケが回ってきたようだ。
・春日部の老健からこちらの地域の老健に移って来て3軒目に引越しをしました。調布市内の老人介護施設です。老健は現状の制度では、3ヶ月、長くとも6ヶ月の滞在で、次の施設に移ることになります。そのたびに、書類の手続き、添付書類に健康診断の結果をつけるので、自費での健康診断受診料が、毎回1〜2万円必要となります。なんとかならないものでしょうか。
・勤務明けで、都内のカメラ店を回って帰宅途中の電車内で大震災に遭遇しました。丁度、明大前の駅に停車中の出来事でした。社内ではスプリングとダンパーが効いているので、殆んど恐怖は感じなかったのですが、駅周辺の建物から次々と人が飛び出してくるのが見えたので、ただごとでは無いくらいの激しい揺れであることが分りました。
・その後、いつまで待っても電車は動き出さないのですが、仕入れた重いカメラもありますし、徒歩で帰る気にも成れず、また、快適な座席に座っていることも有り、動くまでじっくり待つつもりで待っていました。結局、京王線は、午後10時過ぎに動き始め、深夜0時を回った頃、家に帰り着きました。我が家の被害は、私の机の本棚のものが落ちたくらいで、後は被害なく、良かったです。
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2011.3.2(金) 中古カメラ販売独立塾Tプラン参加
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・先月のカメラ買付セミナーにて案内があったTプランに参加することになり、本日スタートアップミーティングに参加しました。
・今迄、タクシー乗務の傍ら、取り組んできたものは、ハンパでものに出来ず、真剣に収入増を目指していく。当面の目標は長男の大学進学費用の捻出である。
・6年間、このサイトは放置されてきた。
2006年の最後の日記意向の概略をここに記す。
2006年春の時点で、主な収入は、FXの投資の利益であった。メルマガアフィリエイトで副業レベルの収入は取れるようになっていたし、FX投資の情報教材を書きかけて居た。徐々にインターネットビジネスで食える直前まで言っていたのである。しかし世の中そうそう上手くはいかないものであります。
春先にアパート入居者が退去し、敷金を返していました。この敷金はFXの口座から抜いたものでした。本来ならば、ポジションを持ったままと云うのはあり得ないのですが、ギリギリレバレッジ範囲内でもあり、それで生活していることもあり、降りるに降りれない状況でも有りました。まあ、次の入居者は入れば、敷金をそこにすぐに入れてあげればいいからと、喜楽に考えていた矢先の出来事でした。ドルが暴落し、私の証拠金は全てなくなりました。
全ての金融資産を失った事になります。手元に残った資金では1ヶ月凌ぐのが精一杯です。そこで、全てを諦めて、再就職することに決心し、就活生活に入ります。この時点で40才をすぎていて、直ぐに働け、まともに収入得られるのはタクシー運転手くらいしか無く、都内のタクシーを3社受け、最大手の日本交通に勤めました。そこから2012年3月までタクシー稼業が続くことになります。
途中、新潟の実家から中越大震災で家が傾き、母が出てきて同居したり、同居が窮屈で伯母夫婦の近くに移り住んだり、その母が小脳出血で倒れて、介護状態になったり、そこに弟が入り込んで、預金も保険も全て使いいつくし、伯母夫婦から第借金し、全ての支払を滞納し、結果債務がこちらに回ってきて、家を手放すにいたりました。
無一文になり、介護状態となった母を引取り、こちらの近くの老人介護施設に転院させ、偶に顔を見せに言っています。その後、弟は、更生を誓って借金を返し始めたのですが、亡くなってしまいまい、現在川崎市内の無縁仏の供養塔に居るはずです。完全に弟の債務となるものは、相続放棄の手続きにより、かぶりませんでしたが、母親名義のなる債務は、すべてこちらにて処理し、家を手放すに至った次第です。
そんな個人的苦境とは別に、リーマンショック、サブプライムローン問題、東日本大震災と、大不況の大波をもろにかぶり、毎年毎年、収入が落ちるタクシー稼業では、地震以降決定的になりました。
そんなこんなで6年のタクシー稼業を2012年3月に卒業しました。
少し遡り2011年から大きなイベントのみ記述しています。
・2006年までの日記はこちら
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